鳥よ

この末期においてなお思い出す 在這盡頭終於回想起
私だけが知っていた鳥の姿を 只有我知道的鳥兒的身影
遥か遠き空のその何処よりか 從遙遠天空的不知何處而來
風を従えて舞い降りた 隨風翩翩落下的樣子
思えばはじめからお前はきっと 仔細回想的話妳肯定從一開始
私を騙そうとしていたのだろう 就想要騙我了吧
お前のあの目が悪戯めき笑う 妳的那雙眼神中暗藏着調皮的嬉笑
若き日の私を誘うように 像是要引誘那時年少無知的我
乞われるがままにその手を取った 宛若同情我似的牽起我的雙手
――その始まりを悔やめようか――嗚呼 ——那樣的開端真令人懊悔——啊

鳥よ 鳥よ そは空の何処 鳥兒啊 鳥兒啊 汝在天空的何處
この手引く先私を連れて行く 請牽起我的手帶我一同前去
鳥よ 鳥よ 翼持つものよ 鳥兒啊 鳥兒啊 身懷雙翅的妳啊
その姿 けっして忘れえぬもの 那身影 絕對不會忘懷
わたしが見上げる限りに 只要我還在仰望天空的話
お前は空を翔けてゆくのだろう 妳就還會在那天空飛翔吧

流れる時さえも行く末知らず 就連流淌的時間也不知何去何從
ならばこの身をして何を知りようか? 那麼徒有這身軀又能知曉什麼?
お前と過ごした日々のその中に 和妳一同度過的每日中也有
けっして戻らぬ針、刻むことも―― 被那絕不會倒退的時針戳到的時候
それはきっといつか来る定めの日 那一定是命中註定必將到來的某日
わたしだけがそれを受け入れられずに 只有我遲遲不能接受那結局
お前のあの目が愁いに沈む 妳的那雙眼中愁苦而消沉
若き日の私を拒むように 像是要拒絕年少無知的我
乞うこともできずにその手を離した 就連乞求也做不到 只能撒手
――唐突すぎる終わりのときに――嗚呼 ——這樣的結局實在太過唐突——啊

鳥よ 鳥よ どうか今一度 鳥兒啊 鳥兒啊 還請再給一次機會
雲のあわい お前を探せども 即便要深入雲霄 探尋妳的身影
鳥よ 鳥よ 翼持つものよ 鳥兒啊 鳥兒啊 身懷雙翅的妳啊
その姿 けして二度とは見えず 那身影 決無法再有幸目睹
お前の居ない空は遠く 沒有妳的天空是如此遙遠
どこか余所余所しいほどに虚く―― 處處都如此陌生而空虛——

「何故お前は」と問えども答えなど無く 就算追問「爲什麼妳會」也了無回應
徒に時 重ねるまま 唯有時光 徒然流逝
お前のほかに誰が翼持つだろう? 除妳以外還有誰擁有翅膀呢?
たとい私にしか見えぬとて 就算只有我能看見亦可

この期におよんでこの目に映る 卻逢此時映入眼簾的
――空より舞い降りた幻想――嗚呼、それは! ——從天而降的幻想——啊,那是!

鳥よ 鳥よ 何故今になって―― 鳥兒啊 鳥兒啊 爲何事到如今——
お前の目は 何も語らぬまま 妳的眼中 不露絲毫神色
鳥よ 鳥よ 翼持つものよ―― 鳥兒啊 鳥兒啊 身懷雙翅的妳啊——
その姿 よくぞ再びここに――! 那個身影 終於又再臨於此——!
鳥よ!鳥よ!さあ今一度 鳥兒啊!鳥兒啊!還請再一次
この手引いて私を連れて行け 牽起雙手攜我遠走高飛
鳥よ!鳥よ!翼持つものよ! 鳥兒啊!鳥兒啊!身懷雙翅的妳啊!
お前を けして離しはしない! 這一次我絕不會放開妳的手!
その空へと私も行こう 我也伴妳一同飛向那晴空
いま循環(空駆け巡)る風となって―― 此刻化作騰空而上的疾風——
お前が空飛ぶときには 每當妳乘風翱翔之時
わたしも傍に居られるようにと―― 願我也永遠伴隨在妳身旁——

「凋叶棕」的「 (とり) よ」,原曲來自兩首「 射命丸(しゃめいまる) (あや) 」在「東方文花帖」附錄CD中的主題曲, 分別是撮影曲1「風の循環 ~ Wind Tour」和撮影曲5「風神少女」。

選這首歌,其實是因爲我上週終於拿到駕照了(都老大不小了方纔?),而這週卻沒有車能開, 一直在回味那種飛馳的感覺。

關於 (あや) 的身世的講解,以後估計還會有別的歌詳述,這裏先賣個關子。

歌詞其實還算簡易,就只改換個別字詞表記標上註音吧。


この 末期(まつご)() いて (なお) (おも)()
(わたし) だけが () っていた (とり)姿(すがた)
(はる)(とお)(そら) のその 何処(いずこ) よりか
(かぜ)(したが) えて ()() りた
(おも) えば (はじ) めからお (まえ) はきっと
(わたし)(だま) そうとしていたのだろう
(まえ) のあの ()悪戯(いたずら) めき (わら)
(わか)()(わたし)(さそ) うように
() われるが (まま) にその ()() った
――その (はじ) まりを () やめようか―― 嗚呼(ああ)

(とり) よ  (とり) よ そは (そら)何処(いずこ)
この () ()(さき) (わたし)() れて ()
(とり) よ  (とり) よ  (つばさ) () つものよ
その 姿(すがた)   (けっ) して (わす)() ぬもの
(わたし)() () げる (かぎ) りに
(まえ)(そら)() けて () くのだろう

(なが) れる (とき) さえも ()(すえ) () らず
ならばこの () をして (なに)() りようか?
(まえ)() ごした 日々(ひび) のその (なか)
(けっ) して (もど) らぬ (はり)   (きざ) むことも――
それはきっといつか (きた)(さだ) めの ()
(わたし) だけがそれを ()() れられずに
(まえ) のあの ()(うれ) いに (しず)
(わか)()(わたし)(こば) むように
() うこともできずにその ()(はな) した
―― 唐突(とうとつ) すぎる () わりの (とき) に―― 嗚呼(ああ)

(とり) よ  (とり) よ どうか (いま) (いち) ()
(くも)(あわい)  お (まえ)(さが) せども
(とり) よ  (とり) よ  (つばさ) () つものよ
その 姿(すがた)   (けっ) して () () とは () えず
(まえ)() ない (そら)(とお)
どこか 余所(よそ) 々々(よそ) しいほどに (うろ) く――

何故(なぜ)(まえ) は」と () えども (こた) えなど ()
(いたずら)(とき)   (かさ) ねるまま
(まえ)(ほか)(だれ)(つばさ) () つだろう?
(たと)(わたし) にしか () えぬとて

この (とき)(およ) んでこの ()(うつ)
―― (そら) より ()() りた 幻想(まぼろし) ―― 嗚呼(ああ) 、それは!

(とり) よ  (とり) よ  何故(なぜ) (いま) になって――
(まえ)() は  (なに)(かた) らぬまま
(とり) よ  (とり) よ  (つばさ) () つものよ――
その 姿(すがた)  よくぞ (ふたた) び ここに――!
(とり) よ! (とり) よ!さあ (いま) (いち) ()
この () () いて (わたし)() れて ()
(とり) よ! (とり) よ! (つばさ) () つものよ!
(まえ) を  (けっ) して (はな) しはしない!
その (そら) へと (わたし)() こう
いま (そら) ()(めぐ)(かぜ) となって――
(まえ)(そら) () ぶときには
(わたし)(はた)() られるようにと――
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